生と死の天秤で生のが重いから生きる

文化主義極極左がまあ色々書きます

仕分けのために久々に「百合」漫画読んだら心が死んだ

私が「百合好き」を名乗るのをやめたのは半年くらい前 理由は「百合」って言葉がレズビアニズムやクィア性の脱色と「非政治的」なパッケージングのためのものだと分かったから
あと百合オタクがマジで無理 人間として無理なやつ多すぎて限界きた

そもそも何で百合漫画読んでたの?

まず私は自分をへテロだと思っていた しかしフィクションの女の子が好きで性欲の対象はそれだけで、エロ画像とかめちゃ集めてた エロガキだったので3DSに2000枚近く保存してた はじめからレズビアンだったのに自覚がなかった で東方とかローゼンメイデンとかまどかマギカにハマりキャラ同士の「カップリング」萌えするようになった 中学時点で「百合」概念は知ってたな 自分を「百合豚」っていってたし
高校生になりTwitterを始めて「百合」漫画の情報を集めるようになった あと同級生にそういうのが好きなシスヘテ男(カービィを美少女化してセックスしたがってたから私の中の現在の通称はカービィファッカー)がいてよく話してた 「百合って最高だよな!」とか言ってアンソロ買って感想言い合ったりしてた でもこいつ好みが全く合わねえと気づいた 私がワーストだと思ったアンソロの一作をベストだったと言ったり実姉妹もの無理っつったのに誕生日(笑)にプレゼントしてきたり、まあ卒業式までは仲良く?してたけどその後は全くお互いに音沙汰なし
で結局2016年から2021年頃までは「百合」漫画買ってたことになる

「百合」漫画とレズビアンの私

自分のセクシュアリティを理解したのは大学受験終わり頃 人生の苦しみにひと区切りつき、自分はへテロじゃないと気づいた 女性ジェンダーしか恋愛も性愛も好きじゃないと
で大学に進学しても継続して興味のある百合漫画は買ってた 百合アンソロ百合漫画ラッシュで気になるやつ全部は買えなかったけど、それでもどうしてもってやつは買ってた
セクシュアリティを自覚したとはいえ、確定というかオープンリーにするのは抵抗があった なんか「新宿2丁目」に行った経験がなければ同性愛者として「認め」られないんじゃないかって苦しかった 今は新宿2丁目とかクソだと思っとるがな(保守ゲイの巣窟でしょ?)
そして私は百合漫画では「女の子しか好きになれなくてもいいんだ」(当時の心情なのであえてこのクソ表現します)とは思えなかった
百合漫画に救われた当事者がいるのは理解してるけど、私は違った そもそもずっともやもやしながら読んでた 恋情伝えないで終わったりとかセクハラが行われてたりとか 後者は気持ち悪かったし
でもレズビアンのrepresentationというか、なんか日本の漫画基本的にミソジニー強いというか女性同士の連帯やシスターフッドが少なすぎてそれから逃げるために百合漫画に走ってた 極端だった でもどちらにせよきつかったな ミソジニーかセクハラか、って

何が私を救ったか?

私は結局Aスペクトラムやレズビアニズムの知識、そしてシスターフッドを中心としたフェミニズムの知識を吸収して、自分がフィクトレズビアンだと分かった あとレズビアニズムやクィアが描かれた英語圏の小説を読んだりフェチズムでないLesbian representationのある英語圏のコンテンツに触れて、やっと自分のアイデンティティを確固たるものにできた

改めて「百合漫画」をぱらぱらめくって

やっぱりこれ、心が死ぬだけ なんか、きつい苦しくなるだけだって分かった なんか、誠実なレズビアン表象に大量に触れた後だときつすぎる メルカリで売り払おうと思うけど経年劣化の謎の汚れがあり状態が悪い 無理かもなー