生と死の天秤で生のが重いから生きる

文化主義極極左がまあ色々書きます

広島平和記念資料館がジェントリフィケーションされてた


1日目に高いバーに入っちゃう前に撮った写真 サムネ用

広島旅行2日目、私は平和資料館ではだしのゲンを全巻買うために広島旅行に来たようなものですからね
だからまあゆっくり静かに見たいと朝早くから道に迷いながら行ったわけですよ 朝ホテルで中沢啓治の初期作品読んだ後にね

いえーい 漫画10巻持ち歩くのきついから郵送にしてもらったが着払い……と

私は2016年の年末に一度原爆ドームと平和資料館を訪問してます 実に7年ぶりの再訪
でそのときは東館が改装中だった 調べても本館リニューアルの方しか出てこないのでどなたか何があったか情報ください

ジェントリフィケーションされた広島平和記念資料館

2016年、1度目の訪問

本館のみ すっっっっごい人が多かった 特に白人 被爆者の蝋人形、黒焦げになった弁当箱や止まった時計などのたくさんの被爆資料、原爆症の症状を伝えるビデオ(原爆症のこと全然知らなかった当時、「タライ一杯内臓のちぎれたものようなものを吐いて亡くなった」という内容の文が当分トラウマになってた)等々様々な資料が展示されており、当時は気分が沈んだまま帰った それ程原爆の恐ろしさを伝えられた 思い出補正入っとるかもだけど

2023年、今回の訪問

東館にはなんか映像模型的なやつのみ 長崎の資料館にもあったのと同じところが作ってそう で、え、東館これだけ?って困惑しながら本館へ 東館の元々の大きさも知らないので……
で本館なんだけど全体的に謎のハイソ感というかそういうのに包まれてて流石にこれが最後まで続くわけ……と思ってたら終わった 前に来たときと比べて格段に「オサレ」になってて困惑した 何これ、ってなってしまった 来たのが2回目だからなのは関係あるかな?
ちなみに困惑してるのは展示内容ではなく展示方法です
内容については日本国籍でない被爆者の証言や遺物、掘り出された頭蓋骨の山の大きな写真が印象に残りました あと死の斑点が出た舌の複製模型と血の色が滲んで残っているブラウス これら展示品は良かった 天皇に関する記述で丁寧語使ってないのも好感もった(市の歴史博物館で天皇が出てくると丁寧語使うようなところばっかだったから……)
ただ雰囲気がなんであんななの なんであんな風になってしもうたん
なんだろ、出た後真っ先に浮かんだのが知らぬ間にジェントリフィケーションされとる!だったので……なんか、なんかね……そりゃ実際に被爆した個人のその体験と過程を伝えるのは大事だけど被爆者はたくさんいたわけよ……ひとりの長い証言か何人もの人々の短い証言をとるか、ってことになってしまったのがな……いやーーーつらいな
でもあのディスプレイは流石にさぁ……まじで……特に被爆死した小学生達の服の展示方法がひどくてなんか誰が誰のものか分からないし、方向はバラバラで、リニューアル時方針に従うならひとりひとりわかるようにしなよ なにあれ

本川小学校

はだしのゲンのゲンが作中で通ってた小学校が被爆当時のまま資料館になっているとのことで見に行ってで見終わったあと受付の方と話し込んでしまった やっぱりはだしのゲン広島市政が排除したがってるからそのニュースを受けて訪問者が増えたとのこと 嬉しいね はだしのゲンを忘れさせてたまるかって人が他にもいると思うと あと中岡家と小学校(ゲンの被爆場所)の位置関係を描いた地図があってありがたすぎた その辺わからなくて困ってた
地下に2016年に平和資料館で見た原爆炸裂ジオラマ模型があってお前ここにいたんか……ってなった あの蝋人形もまだどこかにあることを願ってるよ


1945年8月6日、この川に大量の死体が流れたり浮いてたんですよ
詳しいことは分からないけどあのジェントリフィケーションには広島の右翼政治家が1枚噛んでそうだなとか思ってしまった リニューアルの方針は建前で実は圧力掛かったりしてない?広島市の政治が右翼なのはよくわかってるのでね 昔からもうその土壌があったことを中沢啓治はすでに描いていることに気づいたし
この川が死体だらけになってから78年経った今でなお、右傾化しまくりだわヘイトだらけだわでいつまた虐殺が起こるか分からない 78年経っても忘れないような人間がマジョリティじゃねーからなこの国 本当に絶望した

原爆供養塔に鳥がいた写真で終わります なんかただただやるせない